目には見えないもの

「目には見えないもの」


「価値」とは目に見えないですね。

目には見えないけれども確かに在り、

換価する事ができる。

僕の中では「価値」とは、

「人と人が交換する2つものを比べた結果生じるもの」

だと思っています。

良く外国為替であるUSD/JPYとかいうアレですね。


僕は「お金」や「物」以外に

「価値」を見出す事が重要だと思っています。


例えば・・「人」

この存在自体に価値が在ります。

人は生まれてきた瞬間から価値を発揮します。

例えが悪いかもしれないですが、

生まれてきた赤ちゃんに月々5000円の

保険料を掛けて死亡保険金100万円の

保険に入ったとします。

入ってすぐ(保険の種類によりますが)

死亡した場合に100万円貰えます。

これが保険会社と保険加入者との

「お金」と「危険負担」の価値の交換

という事になります。

もし、仮に赤ちゃんが存在した事を偽造できた場合、

(価値を偽造するという事)

その存在が無くなった事にして数年経ち届出をすると

公的に「死亡した」事にする事ができます。

そして、初めから存在しなかったハズの

赤ちゃんに掛けた死亡保険金を受け取る事ができます。


他にも・・・「通貨」

FX等でポジションを持たずに円高になった場合、

ロングのポジションを持っていた場合に比べて

価値が生まれたと言えると思うのです。


その他にも

「自分が健康である事」

「妻が家事をしてくれる事」

「日本円を持っている事」

こういった事にすごい価値があります。

「当たり前」ではありません。

こういった価値を価値として認める事で

「お金」の数字では見えない豊かさを

享受する事ができるようになると思うのです。

そして、「当たり前」ではなく、

とても「幸せ」で「特別」な事だから

感謝しなくてはいけません。


また、「株」の世界では「噂」だけで

前日の取引から大幅に値下がりして始まり、

全ての人が「損」をするという事もありえます。

「誰も得をしていない状況が発生しうる」のです。

その逆もありますが。


「『誰かが得をすると誰かが損をする』とは限らない」

「お金の量(価値の量)は一定ではない」


と思うのです。

(別の考え方もありますが)

人は「価値の交換」により価値を増幅させ

文明を発達させ現代の豊かさを獲得してきました。


「子は親を越え、感謝する」そして、

「親は子を認め、子から学ぶ」


事が大切だと思うのです。


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宗教

「宗教」


この地球上には様々な宗教が存在します。

僕は無宗教ですが、この世界、宇宙、

自然界に、無言で影響を

与えている存在はいるように思います。


何故かはわからないけど生命はあり、

誰が設計したかはわからないが

良くできた身体がある。

人は教えられもせず歩き、走り、

番い、種を増やしていく。

何故かはわからないが、

死の痛みから逃れ生きようとする。

何かわけのわからない大いなる力により、

この世界があり、僕たちは生かされている。

何かからわけのわからない命令が来ている。

「生きて優秀な種を増やせ」と。

この何かわけのわからない存在を

人は昔から恐れ、敬い、宗教の対象と

してきたのだと思います。


こうした「何かわけのわからないもの」

を知ろうとする行為は「哲学」であり、

実は「宗教」と呼ばれるものの

本質のような気がします。


又、宗教が持つ性質に「秩序」

があると思います。

人々は「神」に何を求めたのか?

それは「秩序」ではないでしょうか?

秩序の無い世界は人にとって住みにくい世界です。

そして、人々は自分たちに都合の良い「神」

を創り出した、と考えています。


宗教には大きくわけて一神教と多神教がありますが、

それは創り出した民族の性質により違うのだと思います。

一神教と多神教。

どっちが良いとか正しいとかという事ではなく、

それぞれに長所と短所がある。

そして、その性質がその宗教の

特徴的な問題を引き起こしているように思うのです。

つまり、世界各地で起きている宗教的争いは

実は宗教は関係なく、その民族の性質的なものによる

争いだという事が言えると思うのです。


又、宗教には聖書だとかコーランだとか仏典だとか、

その宗教にまつわる様々な経典があります。

僕はそれらを「古典文学」だと思っています。

僕は祖父がクリスチャンだったのもあって、

新、旧約聖書しか知らないのですが、

物語としてとても面白いですよね。

ただ、これを実際の歴史書と見ると

矛盾だらけになってしまうのですが、

だからと言って、全く役に立たないかというと

そうでは無いと思います。

というのも、そういった経典を知る事により、

その物語の行間にある書いている人の気持ちを

知る事ができたり、その国の歴史や宗教の

事情を垣間見ることができると思うのです。


そういった宗教を知りもせず批判する人が

いますが、僕は「もったいないなぁ」と思います。

経典はそれまで人々が長い間培ってきた

「知識」の集合体です。

知識は活用する事で強力な力を発揮します。

以上が僕が「宗教」に関して考えている事です。


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善と悪

「善と悪」


 


善とは何でしょう?


悪とは何でしょう?


僕はもともと自然界には「善悪」は無いと思っています。


それでは、「善悪」とは何か。


僕は、人間がある一つの目的に向かっている時、


その目的に適っている行動は「善」


その目的にそぐわない行動は「悪」


と定義したものだ。


という風に考えています。


 


例えば、


「平和に暮らしたい」という目的であれば


戦争は「悪」平和は「善」


日本の法律を守るという目的であれば


犯罪は「悪」法律を守る行為は「善」


「仕事を迅速にこなす」という目的であれば


遅い行動は「悪」迅速な対応は「善」


「スポーツで勝利する」という目的であれば


エラーは「悪」ナイスプレーは「善」


「自国の安全」という目的であれば


他国の核開発は「悪」自己防衛の法制定等は「善」


こんな風に考える事ができるんではないでしょうか?


 


そして、目的が変わると善悪が完全に入れ替わったりする場合があります。


戦争なんかその典型例ですよね。


つまり、「善悪」とは完全に人間の価値観のみで


できていて人間が自分の都合で「善悪」


を決めているというふうに考えています。


 


本来、自然界では弱肉強食は当たり前で、


人間が作る社会では「平等」という名の元に


法により弱者が保護されています。


それは「人間は平等であるべきだ」という


目的によりそうなっているのであって、


それが正しいか(善)、間違っているか(悪)


は人によって別れる所だと思います。


 


TVや新聞、インターネット等、いろんな所で


メディアが「正義」を振りかざし、


多くの人を扇動しようとしているような


風潮が感じられますが、それに疑問を投げかけ


自分なりの考えを持つ事がとても重要だと思います。


  


(この記事はリンクにあるブログMens Mala Cum Linguae Malaeさんの所で以前コメントとして投稿したものです。)




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夫婦

「夫婦」

夫婦とは、「家」という組織を目指すべき所

へ導く道しるべのようなものだと思っています。


「家」という組織を「車」に例えると、その車には

夫、妻、子、兄弟、姉妹、親、男、女、

色々な人が乗っていますが、

その車の中での夫(父)、妻(母)は、

とても重要な役割を持っています。

その車の進路を決めなければならないからです。

その車の行く道には様々な分岐点が存在しています。

「家庭の事」「お金の事」「子供の事」「家の事」「仕事の事」

「夫婦の事」「将来の事」「日々の生活の事」その他・・・

その分岐点に着く前にその車の進む道を決めておかないと

事故を起こしてしまいます。

「分岐点」は今は遠くにあるかもしれませんが、

「必ず在ります」

「分岐点」の一つ一つに対して夫婦で常に自分たちの

考えを確認しておかなければいけません。


「離婚する人が増えている」

という情報を目にした事があります。

離婚する人たちの多くは離婚するために

結婚したのではないハズです。

結婚する時はとても幸せで

仲良かったんじゃないかなぁ〜と思います。


「人の心は形が無い故に変化する。」


と僕は思っています。

自分自身でさえ、変化していくんです。

昔から全く変わっていない人などいない。

いきなりは変わらないかもしれない。

変わりにくい人もいるかもしれない。

でも週に1度ずつ、気づいたときには

180度反対を向いているかもしれない。

360度回ってそれでも新しい自分に

なっているかもしれない。


結婚した最初の頃とはお互いに変化してしまい、

離婚に至る。それが、正しい、間違っている、

という事ではなく、

そういう事が実際にある、という事です。

離婚した事が良かったか、悪かったか、それは

当事者が自分自身で考える問題だと思います。


ただ、自分の人生において、行先を選び、

同じ方向に一緒に進みたいという配偶者を得て、

最初は楽しかったのに途中からなんだか

嫌な面が見えだして、最後の方ではお互いそっぽ

を向いて「車」を運転している。

そんな事では分岐点につく度に事故を起こしてしまうし、

悲しくないですか?

同じ目的を目指していたはずなのに、

同じ理想を掲げていたはずなのに、

何故、お互いに傷つけ合うのでしょうか?


僕は「進路の定期点検が必要」だと思うのです。


「人は変化するもの」

という事は、

行先や目標は変化するものなのだと思います。

それぞれの分岐点について、

分岐点に着いてから決めるのではなく、

分岐点に着く前に決めておかなければならない。

お互いに「分岐点どうする?」みたいな。

そして、それには根拠を持つ。

「何故そうしたいのか?」

「最終的に到達したい所はどこか?」


つまり「定期点検」とは

「家」という組織が「どうなりたいか?」

を踏まえた上で、

「家庭の事」「お金の事」「子供の事」「家の事」「仕事の事」

「夫婦の事」「将来の事」「日々の生活の事」その他・・・

これらの分岐点をどう進んでいくか?

というのを定期的に話し合う

という事だと思うのです。


「全ての問題の根源は行先を決めずに出発する事にある」


と思うのです。


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時間

「時間」

時間ってなんでしょうか?

僕は「時間」は「材料」だと思っています。

時間が無いと何もできません。

時間が有ると何でもできます。


最近テレビで宇宙ができて何百億年だとか、

太陽の寿命は後50億年くらいだとか、

久しぶりにそんな話を聞きました。

誰が計ったのかわからないけどすごいですよね。

僕はそんな大昔から生きているわけではないので、

この宇宙ができた時の事など覚えてはいないのですが、

僕が生まれる直前までとにかくものすごい時間が

流れていたハズなのに今この時を生きている僕には

「そんな事が過去にあった」

これだけです。たった1行。

他の人もそうじゃないですか?

そして、多分

「生まれる前はどうだったのか?」

という疑問に行きつくと思います。

「そんなん誰もわからないよ」とか

「前世があって・・・」とか

色々意見があるのかもしれません。

時間というものは人間が生きているその瞬間にしか

存在していないんでしょう。きっと。

時間とは人間が存在してその流れを感じている。

「もしかしたら違うのかもしれないけれど。」


自分が生まれる前、地球が生まれる前、

太陽が生まれる前、宇宙が生まれる頃、

何かの原因で何かが起こった。「みたい。」

そして、今僕が存在するこの瞬間までの間に

「色々な事が起こった(事になっている)」

僕が物心ついた頃から覚えている「記憶」

ですら、時間は流れていない。


僕の母方の祖母が以前こんな事を言っていました。

「1日が経つのは遅いのに、1年はあっという間だなぁ」

それを聞いて僕は「なるほど」と思いました。

時間の経過は人の感覚によるものだ。

だから、

過去については「時間が経つのは早いなぁ」

と思い、

現在については「時間が経つのは遅いなぁ」

と思うのかもしれません。


「光よ、在れ。」

旧約聖書の神は最初に天地を創造してこう言ったそうです。

でも僕はその時の事を覚えていません。

それが過去の事である以上時間は無いのです。

時間は僕の出生と共に生じ、

僕の存在と共に在る。

そして、僕の消滅と共に消滅する。

つまり全ての材料は今この瞬間だと。

今この瞬間、僕は確かに生きている。

まぎれもないこの「真実」は、

はかないもので多分、後100年くらいしたら

「真実」かどうか誰もわからくなっている。


材料がこの瞬間で、僕が存在しているから

この「材料により」世界が存在しているのであれば、

全ての認識できる概念や物体、空間は

「僕の中に在る」事になる。

「神」と呼ばれるものが在るかどうか、

僕にはわからないがそれが在るとすれば、

「僕の中にこの瞬間だけ在る」事になる。

「真実」と呼ばれるものが在るかどうか、

僕にはわからないがそれが在るとすれば、

「僕の中にこの瞬間だけ在る」事になる。


僕のこの考え事も「僕の中にこの瞬間だけ在る」


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心を掻き毟る人

「心を掻き毟る人」

私たちの世界では色んな事が起こり、

私たちはその出来事に対して

色んな感情を抱きます。

そして、どんな感情を抱くか、

どの程度の強さの感情を抱くか、

それは人によってまちまちです。

些細な事で怒りに囚われ、

些細な事で恐怖に陥り、

些細な事で憎しみを感じ、

些細な事で嫉妬を感じ、

周囲の人を巻き込みながら、

自分自身を傷つける人が大勢います。

程度の大きい小さいはありますが、

そういう人は決まって

その感情に理由をくっ付けています。

その理由はその人を癒してはくれません。

その理由はその人の体を傷つける

恐怖、怒り、憎しみ、嫉妬、

そんな感情を増幅させながら

その人を蝕み続けます。

それらの感情に包まれた人は、

僕には心が「痒くて」

たまらないように見えます。

心の傷の「痒み」を抑える為に

それらの感情で自分の心を

傷つけているのです。

その行為により一時的に「痒み」がひき、

快感すら覚える事もあるでしょうが、

その後に待っているのは

更に強い「痒み」です。

「心を掻き毟る人」の心は

堅い「かさぶた」に覆われています。

中にある敏感で繊細な

「自分」を守る為に。

そして、その事は日常生活の上で

人間関係のみならず、

体調不良、病気、鬱、腰痛、頭痛・・・

様々な影響を与えます。

最近、そんな人が増えてきたなぁと

色々な情報に触れる度に感じます。

人によって出てくる感情が違うのですが

それはその人が選びやすい感情

というのがあるという事だと思います。

怒り、恐怖、妬み、嫉み、悲しみ、憎しみ、

欲望、喜び、愛、幸せ、情熱・・・

何を選ぶかは人によって違いますが、

それを選ぶ事により、

その人の心が作られていきます。

良く、「人は言葉によって作られる」

と言いますが、

もちろんそうなんですが、

その前に

「言葉は感情によって作られる」

と僕は思っています。

そして、どの感情を選ぶかは、

完全にその人の意思次第だと思っています。

その感情を選べば選ぶほど、

その感情に支配されていくと。

こんな事を書いていても、

僕はやっぱり今でも「怒り」が

出やすい性質を持っています。

最近は意図して選ばないようにしていますが。

これは感情を「無くす」という事ではなく、

「選ばない」というだけの事だと思います。

僕は、人間が感情を無くすという事は

よっぽど病気か、何か障害が無い限り

不可能だと思っています。

人間だから、人間の証として、

「感情」がある。

どの感情を選ぶかで、

どんな人間になるかが決まる。

自分を傷つけるのは自分、

自分を癒すのも自分、

そして、

自分と他人は感情で繋がっている。

怒りや憎しみにまかせて

言葉を投げつけるだけではなく、

喜びや愛、感謝を持って

生きていきたい。

僕はそう思います。

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働くという事

「働くという事」

「働く」という事はどういう事でしょうか?

お金を稼ぐ為に働くのでしょうか?

確かにこの国では生きていくだけで

お金がかかります。

税金・食費・住居費・・・

例えば、いつもより美味しいご飯を楽して

食べたければお金をかけなければいけません。

キレイな洋服や、オシャレなバックを

購入するのにもお金がかかります。

アレが欲しい、コレが欲しい、

もう少し良い生活がしたい、

家族を守らなきゃいけない、

だから「働かなきゃいけない」

そうでしょうか?

他にも理由はないですか?

僕が思うに「働く」という事は、

「社会と関わりをもつ」

事だと思っています。

例えば電車に乗るのも、

駅員さんが働いていたり、

運転手さんが働いているからだし、、

レストランで食事をするのも

コックさんが働いていたり、

ウェイトレスの人が働いていたりするからだし、

つまり、色々な人が協力して初めて

気持ちが良い安全で便利な

社会が実現しているという事だと思います。

お金を稼ぐ為だろうがそうじゃなかろうが、

この社会に関わって貢献しない事には

生きていけないようにできていると。

この事は今に始まった事ではなく、

人が物々交換をしていた頃より

前からあったことだと思います。

人は他人に提供できる何かを持っていて、

他人にそれを提供し喜んでもらって、

他人が提供してくれる何かを受け取り感謝する。

この考えを持っていないと、

辛いばかりじゃないでしょうか。

自分が働いていく上で、

他人に何を提供できるのか?

与えられた仕事をたんたんとこなすのではなく、

仕事をこなした上で、

自分にお金を払ってくれる人に

どうやったら喜んで貰えるか?

奪うだけ、欲しいものを欲しがるだけ

ではなく、誰かの役に立ちたい、

自分の能力を高め、もっとたくさんの人に

もっと喜んで欲しい。

そして、最終的に自分に還元されてくる。

僕はこれが「働く事」に対する

重要な姿勢ではないかと考えています。

現在無職の僕が言うのもなんですが(^-^;


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役目

「役目」

人生には演じるべき役目があると、

私が居るからこの世界が与えられているのだと、

苦しい思いをしても良い。

辛い思いをしても良い。

それが私の役目なら。

私は私の役目を必死にこなす。

そして全ての結果を受け入れよう。

この体は何かから与えられた、

役目を果たすための道具でしかない。

怒りや不安や恐怖を選択しても、

私の役目は終わらない。

すべての出来事は

私の為に起きている。

私の役目はなんだろう?


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破壊と再生

「破壊と再生」

火が出て煙が出ているのに
対策を立てないのでしょうか?
対策を他人任せにしておいて良いのでしょうか?

今の日本全体の長期債務残高は
約1135兆円を超えて、
国民一人当たりの負担に換算すると
約908万円を超えるそうです。
さらに国民全体の資産残高は
約1600兆円で近年
減少傾向にあるそうです。

日本は借金で保たれています。
歳入の約30%が借入金で
歳出の約25.5%が借金返済金
さらに
歳出の約11.5%が利払費
という事は元金が返済できているのは
14%という事で借金は
16%増加しているという事です。
(平成19年度一般会計予算)
(資料はインターネットで集めて
端数を省略してあります。)

以前僕はインターネットで
「日本のあんなに低い利率の
国債を購入するのは日本人だけだ」
という記事を見た事がありました。
日本人が日本円を支えているという
部分は確かにあると思います。

ということはお金を貸してくれる
日本人がいるから
日本という国は保たれているということです。
先ほども書きましたが、
今後長期債務残高は更に増加傾向にあり、
今後国民の金融資産は減少傾向にあるそうです。
そして国民の金融資産は近年、
国債からリスクを伴う商品にシフトしてきています。
この事は
「お金を貸してくれる人が少なくなっている」
という事を意味しています。

日本の国債を購入する人が少なくなると、
当然に国債価格の下落が始まり、
国債価格の下落が始まると
国債を買ってくれる人がいなくなるので
(価値の下がるとわかっている
ものを買わないですよね?)
国債の金利を引き上げざるを得なくなります。

そうすると国庫の国債費負担が増え、
歳入を増やすか歳出を減らすしかしないと
財政が破たんしてしまいます。
財政が破たんするとどうなるかという事は
後で書きます。

まず、歳入を補う為には税収を増やすか、
国債発行額を増やすしかないのですが、
国債は上記の通り買う人は少なくなってきています。
それに債務残高を増やすという事は
将来的な利払いを増やすという事なので、
なんの解決にもなっていません。
つまり、税収を増やす事になるのですが、
税収を増やすという事は企業や個人の負担が増え、
企業の設備投資や積極的な雇用を抑制し、
失業率を高めたりする原因になり、
個人では消費を減退させる事になります。
それと税収を現在よりも増やしただけでは
解決しません。
国債の利率が1%上昇すると
消費税を2〜3%UPさせないと
収支が取れないといわれています。

歳出を減らす為には年金や医療費等の
社会保障費を減らすか地方交付税等を
減らす事になるのですが、
これらは公共サービスの低下につながり、
深刻な社会問題につながるのでこれ以上
減らすことができません。

最後の手段として、
日本銀行券を大量に発券するという手があります。
政府には日本銀行券を発券させる権限は
無いので、現在の段階ではないかもしれませんが、
将来的にみて少しづつでもやって
いかないといけないと思います。
日本銀行券を大量発券するとどうなるかというと
日本円の価値が下落し、
結果的に物価高(インフレ)を引き起こします。
国際的に金融不安(他国が保有している日本円
の資産価値減少による恐慌等)
を招く事になるので一気には
できないでしょうが、
段階的にせざるをえなくなると思います。

物価高になるとどうなるかというと、
簡単に例えて言うと、
昨日まで一杯500円で飲めてたビールが
1000円出さないと
飲めなくなるという事です。
今までの倍お金を出さないと
物を購入できなくなります。
その分お給料の額は増えてくるので
問題は無さそうに見えます。
でも銀行に預けていたり、たんす預金していたり、
国債を購入していたり、
財布の中に入っている「円資産」はやはり
価値を失っているという事です。
そして、日本の債務の価値も減少しているので
結果的に国民の円資産を半分奪い、
債務を半分にするのと同じ効果が期待できます。
そしてこの事(インフレ)
は僕達の記憶の中でも過去確かに
起こっていることでもあるのです。

さて、ここでインフレが行き過ぎた場合・・・
これはあくまで極端な話なのですが、
日本が経済破綻した場合というお話です。
まず日本の公共サービスが機能しなくなります。
社会保障、福祉、医療、年金、警察、消防、役所、
もろもろのサービス機関が機能しなくなる
という事は、無秩序な状態が
起こりうるという事です。
明日食う物を得る為に略奪があるかもしれません。
でもそれを止める警官も居ません。
病気や怪我をしても治療してくれる
病院が機能しません。
老人や小さい子供には深刻な問題になります。
ホームレスは溢れ返り、
道端で人の死体を見るというのも珍しく
なくなるかもしれません。
戦後の焼け野原、、
まではいかないかもしれませんが、
そんな事が起こりうるという事です。

でも僕は思います。
「破壊の後には再生がある」と。
戦後日本は焼け野原から復活してきました。
どんな状況にあってもまた復活すると。

そして、僕は思います。
現在の段階で、自分の円以外の資産運用や
将来のそういった不安に備えておく事は
できないのだろうか?
政治家等に日本の政治を丸投げして、
自分達は何もしないで文句だけ
言っていてもよいのだろうかと。

僕らが将来に向けて今やらないと
いけない事はなんでしょうか?
僕は最低、自分の事は自分でできるようにしたい。
そう思います。

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夢のマイホームについて

「夢のマイホームについて」

30代になると何故か家を欲しくなるのでしょうか?

僕もそうですが、周囲の「マンションを買った」と

か、「一戸建てを建てた」とか、そんな声に敏感に

なってきます。


僕は、テレビが嫌いな方なので普段からNHK以外

の番組は見ないのだけれども、先日のにーのお義母

さんが遊びに来た時に久し振りにワールドビジネス

サテライトという番組を見ました。そこで、資金的

に余裕が無くて一般の銀行審査の通らない低所得者

階級(サブプライム層)の人たちも利用できるロー

ンがあって、そのローンを利用して住宅を購入し、

買った1年後に、月々の返済ができずに買った家を

手放したが家が売れずローンだけが残り、賃貸に住

みながらローンを払い続けるという事が起こってい

るらしいです。


人は収入の10%程度の支出であれば生活に支障を

きたしていると感じないというデータがあります。

良く収入の10%を全ての支出の前に貯蓄するのが

良いという話がありますが、そういったデータでも

裏付けされているのではないでしょうか。

そして、支出が収入25%を超えると「支払が困難

になる」という事です。つまり家賃や、ローンが自

分の収入の25%以上になると、普通の生活に息苦

しさを感じるようになるという事です。


家や車やその他、「物」を購入する場合それは、人

間の価値観や感情が絡んでくるので、何が正しいと

か間違っているという事ではないのですが、最近の

不動産ブーム的な状況に僕が持っている感想を書く

と「不動産を購入する目的が明確でない人が多い」

感じがします。家を購入しようとしている人達は

これからローン金利が上がっていくから、地価が

上がっていくから、有利な条件の分譲地が無くな

っていくから、不動産を購入するのでしょうか?

「何故家を買うのか?」という事をもう少し考えて

みる必要がありそうです。


僕は今の所不動産を所有する考えは全然ないので

すが、将来的にしようと思っている不動産投資や

将来的に購入しようと思っている、不動産関係の

間取りや住宅設備、各メーカーの特徴を把握した

り情報収集をする為、将来的に携わろうと思って

いる不動産業界の下調べと、アンケートに答えた

りすると景品を貰えたりする(笑)ので、趣味と

実益を兼ねて、ほぼ毎週1日しかない休日を住宅

展示場巡りに使っていました。そこで感じたのは、

セールスマンの「買い煽りトーク」です。そして、

G・Wは人が沢山いました。僕もその中の一人だ

ったわけですが(^-^;そのセールスマンの方が話し

ていた中に「賃貸で家賃を払うなら月々同じくら

いの額のローンを組んで購入すれば35年後には

自分の物になりますよ」的なものがあったのです

が、賃貸で家賃を払うのと住宅ローンを払うのは

同じでは無いですよね。仮に今現在6万〜7万の

家賃を払っていて同額程度のローンを組んだとし

て、ずっと同じ額の支払いで済むわけはないし、

月々の支払が上がった場合に最初に自分の経済力

いっぱいっぱいでローンを組んだら返済できなく

なってしまいます。それだけではなく、日々生活

していくと、大きな不慮の出費がある事は良くあ

ります。例えば、自分を含め家族の入院、車の事

故による修理や怪我、家電製品の故障、そういっ

た事が起きると必然的に他から資金を調達してこ

なければいけなくなります。最悪自己破産です。


人は生まれてから死ぬまで価値を産み出し、物質

に変換するという事をしています。そして、人が

「欲しい」とか、「失いたくない」と思うところ

に「価値」が生じ、それに対して人は対価を支払

います。ここで大切なのは「価値」は「感情」か

ら生まれているという事です。人を思う心も感情、

人間関係も感情、欲望や恐怖も感情、という事は、

自分の生み出す価値と、組織としての家族の欲し

いと思っている感情のバランスが取れないと、人

間関係のバランスも取れなくなる事があるという

事です。「夢のマイホーム」が「悪夢になる」と

番組では結んでいましたが、人には「分相応」と

いうのがあって「財産を得る」という事よりも、

一番大切な家族と、感情的にも金銭的にも将来的

にも無理の無い、「生活」の方が僕は大切だと思

うのです。夢のマイホームは無理しない範囲で、

「何故家が必要なのか?」という事を僕自身もう

一度考えてみたいと思います。

注)この記事は5月上旬に書き始めたので情報が少し古いかもです(^-^;


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勉強に使っている本

プロフィール

ardor

Author:ardor
あーだー:32歳。趣味は家族との会話・読書・FX・株・旅行・将棋等々。
座右の銘:人事を尽くして天命を待つ
行動指針:先憂後楽

のにー:31歳。趣味は読書・モノ作り(せっけん・化粧品など)・戸建住宅の情報収集・息子との新たな遊びの発見

ちび:2歳。暴れん坊将軍。得意技は、かかと落とし、裏拳、平手打ち、よだれ爆弾、悪食。

ひーちゃん:0歳。天使と悪魔の両面を備え持つ。必殺技は、悩殺!可愛いおめめ。

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